大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和38年(ワ)560号 判決 1965年5月11日

原告 藤林清司

被告 株式会社富士銀行

主文

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

事実

一、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し七一八、八〇〇円並びに右金員に対する昭和三五年一〇月二〇日(訴状請求の趣旨に一二日とあるが、誤記と認める。)から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決とその第一項についての仮執行の宣言とを求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

「(一) 原告は被告との間に昭和三五年四月七日当座勘定取引契約を結び、原告振出の手形を原告の計算において原告の被告東九条支店に対する当座預金から支払をすることを委託し、被告は予め原告提出の印影と手形の印影とを照合し両者符合する場合に支払担当者として原告のため該手形の支払をする義務を負担することとなつた。

(二) しかるに被告は、原告に於て支払義務のない偽造の別紙目録<省略>記載原告振出名義の約束手形(一)ないし(五)(以下、本件手形という)を、原告提出の印影と照合すると容易に偽造であることが判明するのに、右照合を怠り、且通常の注意義務をつくさず、前記契約上の義務に違反して、原告の当座預金からいずれもその満期に右手形金合計七一八、八〇〇円を支払い同額の原告の預金返還請求権を消滅させ、原告に右金員相当の損害を与えたものである。すなわち、原告の届出印鑑の印影は本件手形に用いられた印影より一廻り小さく、全体的印象は異るし、形態上もとくに顕著な相異点は原告名義の藤林の林のつくりの木の字の「ヽ」の部分が届出のものでは下へ約二ミリのびているのに、本件手形に用いられたものは下へほとんどのびていないのであるから、本件手形が偽造であることは一見容易に判別できたのである。

(三) なお、被告は本件手形のうち(一)、(四)、(五)は手形要件である振出日の記載を欠くから、無効のものであるに拘らず、これが支払をしたのである。

よつて、原告は被告に対し右手形金合計七一八、八〇〇円に相当する損害賠償とこれに対する本件手形のうち(五)の満期で被告が最後の支払をした昭和三五年一〇月二〇日から右金員支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払とを求めるため本訴に及んだ。」

更に、その予備的請求原因として次のとおり述べた。

「仮りに右請求が認められないとすると、原告は前記被告との当座勘定取引契約を同年一〇月二七日解約したのであるがその間被告は、前記のように本件手形が偽造であるのに、これに対し、原告の当座預金よりいずれもその満期に右手形金合計七一八、八〇〇円を支払つたが、右支払は原告に支払義務のないに拘らずしたものであつて、かゝる被告の支払は、前記支払委託契約上原告に対して無効であるから、右解約当時被告は原告に対し未だ七一八、八〇〇円の当座預金返還債務を負担していた。

よつて、原告は被告に対し、右七一八、八〇〇円の当座預金返還債務の履行を求める。」

二、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として

「原告主張の請求原因事実中(一)の事実及び被告が原告主張の手形につき原告主張のように原告の預金から支払をしたこと、本件手形の中原告主張の手形には振出日の記載のない事実はこれを認めるが、本件手形が偽造であるかは知らないし、確定日払の約束手形については、その振出日の記載は実益がないのであるから、これを欠いても手形として有効であり、かゝる手形の支払をすることは銀行の慣行となつているもので、被告がその支払をしたことは何ら違法ではない。従つて被告には契約上の義務違背はなく、債務不履行を理由とする原告の請求に応ずる義務はない。また原告の予備的請求についても、原告主張日時その主張のように当座勘定取引契約を解約したことは認めるが、その間に於ける被告の原告のためにする本件手形の支払は総て有効であるから、原告主張の預金残高はない。」と述べ、抗弁として、

「(一) 仮りに本件手形が偽造であるとしても、本件手形に押捺された原告名下の偽造印は原告届出の印鑑に酷似し、成程拡大して比較すると、原告主張のような相違点が認められるが、通常の方法ではその判別が極めて困難であるから、被告の係員がこれに気付かなかつたことには過失がないばかりでなく、被告は本件当座勘定取引契約に於て、原告提出の印影と手形に押捺された印影とが符合すると被告が認めて手形の支払をなした場合には、被告は免責される旨の特約をしたのであつて、被告の係員は本件手形の支払に際して通常の方法を以つて印影の照合をした上原告提出の印影と同一と認めて支払つたのであるから、被告は免責されている。

(二) また、仮りに右主張が認められないとしても、銀行と当座勘定取引約定書を差し入れて当座勘定取引をする場合には、銀行が約束手形の振出人名下の印影が届出印影と符合すると認めて支払をなした場合には、それが偽造手形であつても銀行の責任は免除される旨の商慣習があり、本件契約当事者は、この商慣習に則る意志で契約をした。

(三) また、仮りに右主張が認められないとしても、被告の本件手形に対する支払は、債権の準占有者に対する弁済であるから、被告の支払は有効な支払であつて、これによる原告の損害について被告に責はない。

(四) 更に、仮りに右各主張のいずれもが認められないとしても、原告は被告に対し、昭和三五年一〇月二七日被告の本件手形の支払を有効として追認した。即ち原告は、右日時本件各手形と同額の小切手五通を振出し、本件手形と交換して被告に交付し被告の右支払を右小切手による原告の預金からの支払とすることにしたのである。

(五) なお、仮りに右追認が認められないとしても、原告は昭和三五年一〇月二七日前記の小切手五通を振出すことによつて、原告の被告に対する損害賠償請求権、及び預金払戻請求権を抛棄した。」と述べた。

原告訴訟代理人は被告の抗弁事実に対し、

「(一)の特約の事実は認めるが、その余の各事実は小切手振出の事実を除いていずれも否認する。即ち、被告の係員は本件手形の支払に際してその都度印鑑の照合をしていないし、勿論注意義務をつくしていない。原告が被告主張の小切手を被告に振出し交付したことは相異ないが、右は原告が本件手形が偽造であることを知り後日の証拠とするため被告にその返還を求めたところ、被告が事務の整理上必要であるからとして原告の小切手を要求したので、原告はこれを応じて被告に小切手を交付したまでのことであつて、これは被告の主張のように追認又は権利を抛棄するためにしたものではない。」と述べた。

立証<省略>

理由

一、原告主張日時、原告と被告との間に、被告の東九条支店が原告の支払担当者として、原告振出の手形を、該手形に押捺された印影と予め原告が被告に提出した原告の印鑑による印影とを照合し符合した場合、原告の計算に於て原告の当座預金から支払することを約した所謂当座勘定取引契約を結んだこと、被告の東九条支店が右契約に基いて、原告振出名義の別紙目録記載の約束手形五通(本件手形)を原告主張日時原告の当座預金から支払つたこと、は当事者間に争がない。

二、ところで原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨とを総合すると被告銀行東九条支店が支払つた前認定の本件五通の手形は、原告の義母が擅に原告の印鑑を偽造してこれを押捺して原告名義を冒用し振出したものであることが認められる。

しかして更に右五通の手形の中(一)、(四)、(五)の各手形は振出日の記載がなく、被告の東九条支店が右振出日の記載のないまゝこれが支払いをしたことも当事者間に争がない。手形法は手形の要件として振出日の記載を所謂手形要件として記載することを規定していて、従来からこの記載を欠く手形は手形として無効であると解する見解があるが、惟うに本件手形のように確定日払の手形についてはその振出日の記載は、これを要求する意味がないと考えられる、勿論振出も法律行為であるから、行為の日を明確にするために手形法は確定日払の手形についても振出日の記載を要件としたものと考えられるが、すでに手形に記載する振出日は必ずしも現実の振出行為の日を記載することを要しないと解されており、従つて、また、振出人の振出当時の権利能力や行為能力については、手形に記載の振出日を標準とするものではないのであるから、振出日の記載は確定日払の手形に限つて何の必要もないものと言わねばならない、それ故確定日払の手形に限つて振出日の記載の欠除はその手形を絶対的に無効と解すべきでない。このように解すると被告の東九条支店が前記(一)、(四)、(五)の各手形の支払をしたことは前認定の偽造の点を除けば無効の手形の支払をしたものとはならない。

三、そこで次に被告の東九条支店が、偽造である本件五通の手形の支払をしたことが当座勘定取引契約に基く義務に違反した債務不履行の責を負うべきかを検討する。

(一)  勿論前認定の当座勘定取引契約では、原告振出の約束手形等の原告の当座預金からの支払を約しているのであるから、被告が原告に支払義務のない偽造手形の支払をすることは被告に於ては右契約義務に違反する。

ところで原被告間の当座勘定取引契約に於ては、予め原告がこの当座勘定取引に使用する印鑑の印影を被告に提出して置き、被告の東九条支店は、支払をすべき手形の原告名義の印影を右提出印影と照合して符合した場合その手形の支払をすることを約していることは前認定の通りであり、成立に争のない甲第四号証、証人上田弘、同佐藤武士、同立川秀夫の各証言を総合すると、右照合方法は現在市中銀行では、係員が肉眼で予め提出された印影と手形等の印影とを対象してその形、字型等を比較して判定する所謂平面照合をするのが一般であつて、更に短時間内に多量の手形小切手類の印影照合をしなければならない関係から、係員は時に支払委託者の提出印影を覚えて置いて一々提出印影簿との現実の照合をしないで所謂記憶に基く照合をし判定している実情であること、被告の東九条支店に於ても、これらの方法によつて処理しており、本件手形についても右の方法によつて印影照合をした上原告の提出印影と同一と認めて支払をしたことが認められる。しかして本件手形の印影と原告提出の印影との相違が原告の主張する通りであることは当事者間に争がなく、右事実と原告が予め提出した原告の印影と同一のものであることに争のない甲第二号証、成立に争のない甲第五号証とによると、被告の東九条支店の係員が前認定の方法で本件手形の印影の照合をした上提出印影と同一であると判断し、原告に支払義務のある手形として本件手形の支払をしたことは万全の注意義務をつくしたものとは言えない過失があるものと認められるが、右照合が現実の照合であつても、また或は記憶による照合であつたにしても、本件偽造印は、極めて巧妙に造られており、原告の提出印影より一廻り大きいとは言つても極く僅かであるし、つくりの木の字の相異点も右下の極く一部であつて、他の部分の字劃については肉眼では判別できない程で、全体として原告提出印影に極めて酷似していることが認められる上、前認定のように短時間内に多量の印影照合をしなければならなかつたことに鑑みると、被告が銀行として経済界に占める重責、社会的信頼を託された機関であることを考慮に入れても、右過失は軽微なものと認められる。

そうすると被告は、その過失は軽微とは言つても、過失による契約違反の責を負わなければならないわけである。

(二)  そこで次に被告の免責特約の抗弁についてみよう。

原被告間の本件当座勘定取引契約に被告主張の特約のあることは当事者間に争がない。ところで右の所謂免責約款の趣旨は、成立に争のない乙第一号証の当座勘定取引約定書第八条の文言自体並に証人佐藤武夫、同馬木鄰蔵の各証言によると、右約款によつて免責されるのは、被告が通常の注意義務をつくして印鑑照合の上原告提出の印影と符合するものと被告に於て認めて支払をした場合に限るもので、且その支払より生ずるすべての責を免れるものと認められ、しかもその照合方法については前認定の市中銀行が一般に行つている方法を以つて足るものと認められる。

そうすると、被告の東九条支店が本件手形の支払をしたことには軽微な過失があるに過ぎないのであるから、被告の右支払による契約違反の責は免除されるものと言わねばならない。

四  果して叙上説示の通りとすると、被告の債務不履行を理由とする原告の本訴請求は理由がない。

五  次に原告の予備的請求について判断する。

原告主張日時前認定の当座勘定取引契約が解除されたことは当事者間に争がなく、右解約後原告の被告の東九条支店に於ける当座預金残高は、被告がした本件手形の支払のための払出額を控除すると皆無であることは成立に争のない甲第四号証によつて明かであつて、被告が原告に対し本件手形の支払から生ずる責を免れることは前に認定した通りであるから、被告が原告の支払担当者としてした本件手形の支払が原告としては非債弁済となるとしても、被告の原告に対する関係では、右支払のための原告の当座預金からの払出しについて原告は被告に対しその不法の責を問うことはできないものと言うべきである。従つて最早や原告は被告に対する当座預金残高払戻請求権を有しないことは明かである。そこで原告の予備的請求も認容することができない。

六、以上の通りであるから、原告の請求は認容することができないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 喜多勝)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例